雑誌デザインを変革した草分け、クリストフ・ブルンケルの天才脳を覗く
Christophe Brunnquell
photography: chikashi suzuki, gento uchida
interview: chikashi suzuki
text: miwa goroku
15年にわたり雑誌『Purple』のアートディレクターを務めたChristophe Brunnquell (クリストフ・ブルンケル) は、同時にアーティストとしても世界に知られる存在だ。雑誌、新聞、ファッションブランドからアーティスト同士のタッグに至るまで、実にさまざまなディレクションやコラボレーションを実現しながら、現在も1日数枚のハイペースで自身の作品を生み出し続けている。新聞などの切り抜きを多用したシュールなコラージュ、どんどん抽象性を極めていくドローイング、それらをミックスした独創的なアートワーク…… 2004年に創刊した『Carnaval』は、そんな彼の作品が独自編集された雑誌で、このたび新たな1冊が ZUCCa (ズッカ) とのコラボレーションにより完成。イベントに合わせて来日した彼に話を聞いた。インタビュワーは『Purple』を通して90年代から接点を持つ写真家・鈴木親。アートディレクターとアーティスト、2つの顔が同居する Christophe のどこまでも自由で刺激的なスタンスが明らかに。
雑誌デザインを変革した草分け、クリストフ・ブルンケルの天才脳を覗く
Portraits
鈴木親 (以下、親): Christopheが最初に絵を興味に持ったのは?
Christophe (以下、C): 子供の頃から好きだった。覚えているのは9歳の時、ロンドンで開催されていた Pablo Picasso (パブロ・ピカソ) のスケッチブックの展示会に連れて行ってもらった時のこと。僕はあまりの衝撃にその場から動けなくなって、父親がどんなに引っ張っても帰ろうとしなかったらしい。アーティスト、フォトグラファー、ピアニスト…… 表現を続けている人なら誰でも、そういう雷に打たれたような経験をしたことがあるんじゃないかな。僕はPicasso を知ってから、朝から晩まで、学校の授業中もずっと絵を描くようになった。母親が画家だったので、家庭環境も手伝っているかもしれない。
親: そのまま絵描きになりたかった?
C: アートディレクターの仕事に行き着いている人には、絵心のある人が多いと思う。Serge Gainsbourg (セルジュ・ゲンスブール) も最初は画家になりたかった。
親: グラフィックデザイナーの Peter Saville (ピーター・サヴィル) もそうですよね。あとは Rolling Stones (ローリング・ストーンズ) の Ron Wood (ロン・ウッド) とか。彼は自分のことを “ギターを弾く画家” だと名乗っている。
C: 具象でも、抽象でも、音楽でも、共通するのはコンポジション (構成力)。そこが出発点。
親: Christophe はいつからアートディレクターを職業として考えはじめたの?
C: ペインターとアートディレクターは同時進行だね。アートディレクターの仕事は、外に出ていろんな人たちと一緒にやる。ペインターは、自分の世界に入り込んでひとりでやっていく。僕は、他の人とコラボレーションすることに興味があったから、19歳の時に Elein Fleiss (エレン・フライス) と Olivier Zahm (オリヴィエ・ザーム) から『Purple』のアートディレクションの話をもらった時は、面白そうだと思ったし嬉しかった。
親: 最初は『Purple』の創刊時 (1992年) にインタビューされたんですよね。
C: 外の世界につながるいいチャンスをもらったと思った。家にこもって何かを描き続けているだけだと、発展性がない。自分から外に行って世界を見ないとね。Andy Warhol (アンディ・ウォーホル) とBasquiat (バスキア)、荒木経惟と Juergen Teller (ユルゲン・テラー)…… いろんなアーティスト同士がコラボレーションをしていて、すごくいい。僕の場合は、フォトグラファーの Estelle Hanania (エステル・ハナニア) とのコラボレーションが長かった。僕がパフォーマンスしたり絵を描いたものを、Estelle が写真におさめる。動きがあったり、ちょっと違和感があったり、不思議なクリエイションの写真が好き。
親: 確かに Christophe の作品は、絵もグラフィックも、全部クロスオーバーしてる。
C: 僕が一番やりたいのは、アート作品を作ること。そのかたわらにアートディレクションの仕事があるというバランスが、僕にはちょうどよかった。
親:タイポグラフィも、そこのバランスなのかな。たとえば『Purple Prose』時代のロゴは、普通のグラフィックの人は絶対やらないスタイルだった。
C: タイポグラフィは、踊っていないといけない。自転車に急ブレーキをかける時みたいに。ちょっとズラす。
親: ? (笑)
C: 唐辛子みたいなものが、全体の10% 必要ということ。『Purple』の場合、タイポグラフィが、そのスパイスの役目を担っていた。
親: フリーハンドっぽいデザインを最初にやったのは Christophe だからね。当時はちょうど『Purple』が注目されはじめていた。これからいよいよってタイミングで、でも Christopheはいきなりニューヨークに行っちゃったでしょ。あれは何だったの?
C: フランス文化省からアーティストの奨学金をもらったから。その後に Villa Medici (ヴィラ・メディチ) も受賞 (現・ローマ賞) して、アーティスト・イン・レジデンスで1年間ローマにも滞在。ちなみに僕のアートワーク雑誌『carnaval』(2004年創刊) は、このメディチ滞在中 (2002〜03年) にはじめた。
親: Christopheがニューヨークに行くとなって、Elein と Olivier がすごく焦っていたのを覚えてる。Christophe はクレイジーすぎるってみんないってたよ (笑)。
C: 女性との2度目のディナーは、1度目とは必ず違うところに行く。
親: (笑)。その心は?
C: マンネリ化したくない。
親: あのタイミングでいなくなったのは、いろんな意味ですごい。もし Christophe がニューヨークに行かなかったら、M/M Paris の活躍は違ったものになっていたかもしれない。『Purple』の存在もしかりで、今のオルタナティブな感じのする雑誌はすべて『Purple』以後だから。(編集部注:『Purple』は一時期、M/M Paris (エムエムパリス) がアートディレクションに入っていたことがある)
C: 先頭車はリッチになれないのが世の掟。先頭車がアイデアを作ったら、実際の商品を載せるのは、後ろのワゴン車だから。
親: Christophe がすごいのは、同じことを繰り返して自分のスタイルを確立して、大きな仕事とお金につなげていくことに、一切興味がない。若い時は、一つのスタイルでやったほうがわかりやすいのに、全然それがない。『Purple』もすごくいい時期に離れていたし。子供の頃からそうなの?
C: あんまり考えたことない。
親: 話は戻るけど、Christophe が展覧会のカタログ『L’HIVER DE L’AMOUR BIS』(1994) をデザインしたのはいくつの時?
C: 『Purple』をはじめて2年目だから、25歳かな。
親: キュレーターの Elein と Olivier を中心に、Dominique Gonzalez-Foerster (ドミニク・ゴンザレス=フォルステル)、Wolfgang Tillmans (ヴォルフガング・ティルマンス)、Larry Clark (ラリー・クラーク)、そして Martin Martigela (マルタン・マルジェラ) …… 振り返るとすごいメンバーが参加していましたよね。当時における新しいジェネレーションで、みんなキャリアのスタートのタイミングだった。
C: Musée d’Art Moderne de Paris (パリ市立近代美術館) のARC (現代部門) がリノベーションする前のタイミングだった。それで自由にエキシビションをやらせてもらったのが『L’HIVER DE L’AMOUR BIS (=winter of love)』。
親: 『L’HIVER DE L’AMOUR BIS』と出会っていなかったら、僕はフランスに行ってないし、写真もやってないと思う。僕はこのカタログからものすごい衝撃を受けた。一見雑誌のようで、商品カタログのような。開くと、ものすごくいい写真が載っている。
C: なぜ雑誌っぽいつくりにしたかというと、参加した35人のアーティスト全員に配れるようにしたかったから。いわゆるしっかりとしたカタログを作ってしまったら、予算の都合で全員に渡せなくなる。そもそも『Purple』のオーガナイズだから、雑誌的なアプローチは必然だったかもしれないけど。
親: 『Purple Prose』『Purple Sexe』『Purple Fiction』。そこからOlivierの『Purple Fashion』と Eleinの『Purple Journal』にわかれるとき、Christophe はどう思っていた?
C: ふたりとはたくさん議論をした。商業的なことは後回しだった。まだみんな若かったし、いろいろ試したいことがたくさんあった。Olivier はもっとモードっぽいこと、Elein はポエティックなことがやりたかった。だったらミックスしないでわけてみようとなった。そこにあったのは、単純に表現したいという気持ち。避けたかったのはマンネリ。
親: 毎回、判型を変えて、紙も変えて、フォーマットも変えて。今思うとクレイジーですよ。Christophe はたまにモデルとしても出てたよね。
C:Anders Edstrom (アンダース・エドストローム) の写真に時々。
親: 『Purple』まわりの誰もが口を揃えて Christophe が一番変わっているという。言い換えると、一番才能がある。
C: 20〜30歳は現実的。30〜40歳は表現的。40歳を超えたら抽象的になっていく。抽象的になるのは、どんどん自由が広がるから。Elein がファッションから離れたのも同じ理由だと思う。なぜならファッションは抽象的なものではないから。
親: アーティストとして典型的な進化なのかな。Jackson Pollock (ジャクソン・ポロック) も、初期はものすごく細かい絵を描いていて、最終的には抽象表現のムーブメントを率いるまでになった。Christophe はそこのセオリーではない気もするけど。
C: コラージュは確かに違うかな。でもペイントはどんどん抽象的になっている。
親:なんというか、もっと時空から歪んでいる印象を受けていて。日本だと、横尾忠則さんに近いタイプ。アートディレクションしながら、1日に何枚も絵を描くところとか。
C: 僕のアート雑誌『Carnaval』は完全にノールール。載せているコラージュは15年間、1日に3〜4枚ずつ作り続けてきたものから、僕自身が選んでいる。ZUCCa (ズッカ) の協力で今回特別編集したのが2冊目。最後にもう1冊、640ページの特大号を作って、2020年内に出す予定。これをもって、『Carnaval』の活動を集大成する。
親: Christophe はこれからも、自由なスタイルで続けていくの?
C: 2020年はペインティングをもっと世に出していきたい。大きなフォーマットの作品を制作していて、5月にはパリで大きな展覧会も控えている。あと本も、今年は全部で5冊出す予定。ファッションブランドのクリエイティブディレクションもまたやろうと思っている。さっきいった通り、僕はディレクターとアーティストの両方をやっている時が一番いいんだ。